ダイエットブログ

50kg目指して日々奮闘中!

数あるVtuberの中で唯一ハマっているKMNZからKMNZ LIZさんが来月卒業するらしく、自分の中でのショックが存外大きいので自分の頭を整理することにします。

 

自分にとってVtuberというのは「停滞を許容してくれる存在」だったように思います。明日を迎え入れることを「前を見て/上を向いて歩く」などと慣用しますが、実際のところ明日に向かうというのは雨が地面に墜落するように抗えない急速なものだと思います。その墜落への恐怖を保留してくれるのが自分にとってのVtuberでした。

Vtuberとは言ってしまえば絵が張り付いた人間です。それゆえ抵抗感のある人も多いのでしょうが、同時に、それゆえ私たちは絵に対する接し方と人間に対する接し方のどちらもができます。この点がVtuberの新規性だったのでしょう。絵はいつまでも同じ要素を内包し続けます。

ところで、絵に執着することはある一箇所に留まることでもあるでしょう。自分のような人間にとって、彼ら彼女らは保留を受け入れる雨受け皿です。しかし、Vtuberの中の人間は絵のように不変ではありません。それぞれの人生があり、葛藤、進退があります。そしてそれらも、雨粒のように速いものでしょう。絵と人間の乖離が進むほど、ファンの視線と彼ら彼女らの心象も乖離していくのだと思います。それらを両立することの難しさは想像もできません。

だから、いつも突然のご報告によって終わりが来るのかもしれません。

翻って自分。今まである一箇所に留まれていたところから、急に今、今日、ここに来てしまったわけです。ショックが大きいと感じるのも分かる話です。

「時間を忘れた」というのはエンタメに対する最大限の賛辞だと思います。少なくとも自分は5年半もの間、「時間を忘れ」ていました。そしてその5年半はとても充実していました。

KMNZ LIZ "としての"アーティスト活動は終了するようですが、また別のところで誰かを救ってくれるのかもしれません。ぼくはぼくで保留していた自分自身と向き合ってみたりなんかしたりすると思います。一人の人間の決意を祝福して終わります。

卒業おめでとうございます。