ダイエットブログ

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九月下旬の木曜日の早朝、祖父が亡くなった。あまり喋る方ではないが焼酎を飲みながら顔を赤くして笑い、祖母に焼酎を没収され、しょんぼりしているような人だった。

亡くなる前日の夜、祖父のいる病院へ面会に行った。病棟に特有の黄色い匂いが鼻腔で対流した。ふっくらと赤かった顔はしぼみ、数日前吐血したらしい口の中は「ボロボロ」と言うのが適切だった。開いているのかいないのかわからないほどの目で私の方を見るなり、痛がっているのか話しかけているのか、うめくように声を上げた。私はじっとそれを見ていた。それが5分ぐらい続いただろうか、大きく口を開けたかと思えばあくびを一つして、眠りについた。焼酎を煽った後の寝顔と、それは同じだった。一つ違うのは、彼の鼻から伸びたチューブの先で、無色透明の液体から熱帯魚の水槽のようにか弱い泡が生じていたことだった。

私は祖父と仲が良かった。お互いの距離感をお互いが好きだった。あまり喋らない祖父の性分が、アグレッシブな”友達”関係が苦手な私の性分と綺麗に噛み合っていた。祖父にはよくお出かけに連れて行ってもらっていた。それができなくなってからは、認知症が混じってリフレインするようになった思い出話を、聞くというより受け止めていた。

祖父との思い出には、桜の登場するものが二つある。私の物心がつくかつかないかのころの話と、祖父の物心が緩やかに彼から剥がれはじめてからの話である。

一言で言えば、私は危なっかしい子供だった。飴を喉に二回詰まらせて死にかけたし、一日一錠の薬を朝に二錠飲んで学校を欠席した。祖父の家の近くの桜まつりに行った時もそうだった。三歳の私は祖父とつないでいた手を容易に離し、哀れあっけなく迷子になった。真っ青になった祖父が数分後私を見つけたとき、私は桜の木に手をついてニコニコしていたのだという。

危なっかしさを払拭できないまま、私は社会人になった。一人で出かけられなくなった祖父はデイサービスに通っていた。その日の祖父は一つの話をずっと繰り返していた。デイサービス仲間が車いすで桜を見に連れて行ったという話を、である。桜なんか行きしなの電車からいくらでも見られたのだが、その話の中の桜は、祖父の目線の先にだけあるらしかった。祖父の記憶が巻き戻るたびに、その桜は再び散らした花びらを元に戻していたのだろうか。

九月下旬の木曜日の早朝、祖父が亡くなった。よりにもよって桜から一番遠い九月に。

ここ数日寝付けずに苦しんでいたのが噓のように木曜の朝は目覚めが良かった。そのことが私には形容しがたく寂しかった。